9. オスマン帝国の君主
セリム1世
ヤウズ(冷厳なる者)
- 在位
- 1512 – 1520
- 生年
- 1470
- 没年
- 1520
エジプト遠征によりカリフ位をオスマン家にもたらした。わずか八年の治世で国土は大きく広がった。
ヤウズ(冷厳なる者)と呼ばれたセリム1世は、1470年10月10日に生まれた。父はバヤジット2世、母はドゥルカディルオウッラルー侯国の出であるギュルバハル・ハトゥンである。セリムは背が高く肩幅が広く、骨太で、肩の間が広く、頭は丸く顔は赤みを帯び、口髭は長い、勇猛な君主であった。気性は厳しく、勇敢であった。よい教育を受けた。
父バヤジット2世は君主となったのち、軍の指揮と国の統治を学ばせるため、王子セリムをトラブゾン県の総督に任じた。
トラブゾンで王子セリムは国政のかたわら学問に励み、大学者メヴラーナ・アブデュルハリム・エフェンディの講義に通った。トラブゾンをたいそう巧みに治めつつ、隣国の事情にも心を配った。
総督在任中、トラブゾンの民を悩ませたグルジア勢に対して三度の遠征を行った。もっとも重要なクタイシ遠征では、カルス、エルズルム、アルトヴィンをはじめ多くの地を征服してオスマン領に加えた(1508年)。
馬術に長け、当代随一の剣士を打ち負かすほど剣を能くした。相撲、弓射、弓を引くことに秀でていた。戦を好みながら、たいそう繊細な心をも持っていた。質素な人柄で、食事のたびに一品しか取らず、木の皿を用いた。
華美を好まず、国の財を浪費しなかった。父から受け継いだ、すでに十分な国庫を、あふれるほどに満たした。国庫の扉に封をしたのち、こう遺言した。
「私が黄金で満たしたこの国庫を、わが子孫のうち満たしうる者があれば、自らの印で封をせよ。さもなくば帝国の国庫は私の印で封をされるべし。」
この遺言は守られた。以後の君主の誰ひとり国庫を満たしえなかったため、その扉はつねにヤウズの印で封じられた。
先祖がみな髭を伸ばしたのに対し、ヤウズは髭を剃った。その理由を問われて「掴ませぬために剃るのだ」と答えたと伝えられる。1520年9月22日、「獅子の爪」と呼ばれた腫れ物のため、まだ五十歳で没した。
最期のときにはヤースィーン章を読んでいた。スレイマン大帝はファーティフ・モスクで父の葬礼を執り行ったのち、スルタン・セリム・モスクの中庭にある廟に葬らせた。歴史家たちはヤウズ・スルタン・セリムを、八十年分の仕事を八年に収めた偉大な君主と評した。
- 男子:スレイマン大帝
- 女子:ハティジェ・スルタン、ファトマ・スルタン、ハフサ・スルタン、シャー・スルタン
出典:Osmanlı Tarihi Interaktif CD-ROM (Türk Tarih Kurumu Yayınları XXXI. Dizi-Sa.2)